サントリー美術館「天上の舞 飛天の美」展を振り返る(前編)

想像以上に多様で奥深い「飛天」の世界


昨年(2013年)11月から東京六本木のサントリー美術館で開催されていた「天上の舞 飛天の美」展が今週閉幕しました。

会期終盤には入場規制もあったということですし、自分が最終日前日に2回目を観に行った時には図録はおろか、チラシもなくなっているという盛況ぶりでした。

仏教美術の中でも特に浄土美術が大好きな私でも、正直観るまでは、雲中供養菩薩や平等院関連以外に目玉があるのかな?とか、脇役的存在である「飛天」でどう展開するんだろうと思う部分もありましたが、実際は、よくぞ「飛天」繋がりでここまで集めて、わかりやすく観せてくれました!という感じで、本当に濃い内容でしたし、勉強になりました。

この展覧会には2回足を運びましたが、以下、その当日にTwitterでつぶやいた感想を引用して再構成(部分的に修正・補足)しながら振り返ってみようと思います。

サントリー美術館「天上の舞 飛天の美」展入口パネル

サントリー美術館「天上の舞 飛天の美」展入口パネル

まずは前編ということで、1回目に観に行った日の感想から。この日は、この展覧会を企画した学芸員の方による「見どころトーク」という講演もあり、最初にそれを聴いて「飛天」についての基礎知識と展覧会の流れや見どころを踏まえての展示鑑賞となりました。

(「見どころトーク」を聴き終えて。以下、インデントした斜体文字は当日のツイートからの引用)

学芸員による見どころトーク終了(約45分)。展覧会の趣旨、展示構成・流れ、展示作品に見られる飛天や飛天に類するもののタイプの紹介、展示における工夫・配慮などの話が聴けて、あらかじめポイントを押さえて、頭を整理して鑑賞できそう。

(展示鑑賞後)

飛天展堪能したー!いやーよかったよかった。飛天三昧、雲中三昧、極楽三昧。

ひとくちに「飛天」といっても、インドに始まり、ガンダーラでギリシャ・ローマ的な天使的な要素も加わり、中国では飛行する存在として道教的な神仙と繋がり、そのように多種多様なルーツ・形態をもった「飛天」が日本に入って、浄土教の隆盛とともに来迎とも結びつき、飛天的意匠やイメージが菩薩にも反映されたと。

今まではやはり如来など中心的な仏の盛り上げ役と思っていたからそこまで考えたこともなかったけど、この展開は興味深い。

展示を観ていて、おぉ!っと思ったのは、そのヘレニズム的な天使的な要素とは直接関係ないのかもしれないが、東博所蔵の鎌倉時代の文殊菩薩光背の迦陵頻伽が実に実に天使っぽい!この横笛を吹いている方なんて、体のぽっちゃり感、捻じり方、首の傾げ方、腰布のずらし方、ヨーロッパの天使そのものじゃないか!

【写真】文殊菩薩騎獅像および侍者立像(東博名品ギャラリー) ※この迦陵頻伽は文殊菩薩が右手に持つ剣の横

このように多様なルーツのDNAが時代も場所も越えて突然隔世遺伝的に顔を出す時があるのでは?と思った。この光背の迦陵頻伽は東博で文殊一行の群像として何度か観たことはあるけど、今日の展示を順を追って観たことで全然とらえ方や印象が変わったなぁ。

それから、今年10月に四天王寺の宝物館で観た、片足を上げて踊るような「阿弥陀如来両脇侍」に再会できたのは嬉しかった。四天王寺の宝物館は時間なくて15分ぐらいしか観てないから、せっかくかわいくて面白い人たち見つけたのにと、ちょっと心残りだった。かわいいよねぇ。こういうのをフィギュアにしてほしいなぁ。

飛天光背を持つ仏像として出ていた、神奈川の宝樹院の阿弥陀三尊。地元神奈川なのに知らなかった。平安(阿弥陀さんの顔は玉眼入って鎌倉っぽくなっているけど)のこんなに本格的で、いい感じの漆箔具合の方々ならぜひお寺で拝観してみたい。

展示の第Ⅲ章「飛天の展開―来迎聖衆―」のメイン展示ともいえる、岩手・松川の二十五菩薩と飛天。比較的状態がよい像のみの出品で、それも体の一部しか残ってない残欠状態とはいってもこれは素晴らしかった。先週観に行った伊豆・南禅寺の欠損した神像・仏像と同じで、不完全だからこそ見えてくる本質や本来の姿の素晴らしさが感じられる。

「飛天」展、前半そんな感じで飛天の歴史や展開を見せていって、階を変えて後半一気に平等院に落とし込む、というか収斂させたのは見事。最初に目玉的にバーンと雲中供養菩薩とかじゃなくて、ちゃんと飛天や浄土関連の順を追って、ある意味ためてためて…からの平等院。これはいい。

普段展覧会では絶対観れない、鳳凰堂修理中だからこその本尊阿弥陀の光背の飛天をこういう形で間近で観れたのは本当に貴重。展示された6体は定朝(一門)作の当初像だから、なにしろ。雲中よりいくぶんシンプルで薄い。でもほんと見事な立体感といい顔だった。

そして、雲中供養菩薩のオリジナルの南20号さんに代わって実際に修理落慶後に鳳凰堂内で阿弥陀を荘厳する、魂入れもされている模刻像にこの手で触れての結縁。この企画は本当によかった。もちろんオリジナルと同じ材・造像方法で作られていて、触ると木の重量感や温かみが本当によくわかる。

ちなみにこの結縁のコーナーは、会期終盤には数十分待ちの長蛇の列になっていました。自分が触れた仏像が、実際に宗教的な意味を持って今後何百年と鳳凰堂に据えられると思うと感慨深いものがあります。

そして最後のコーナーで雲中三昧。これはもう言うことないですね。とことん彼らを眺めながら、イメージの中で戯れるしかないw 52体中14体のお出ましだけど、もう「あなたも来ましたか」「おぉ、あなたも、あなたも!」と旧友と再会するかのような心持ちになるのです^^;

でも、一言付け加えるなら、雲中さんたちの展示がほぼ立って観る目線の高さになるので、ちょっとかがんで下から観てみたりするのもいいかも。本来は拝観者の頭上の壁に架けてあって見上げる方々なので、見上げた時にベストになるように作られているはず。

そうすると、顔の表情や印象も少し違って見えるし、実際、ちょっとバイク乗りのヤンキー感を漂わせている南24号さん(失礼!w)は、下からだと表情に幼い童子的な感じが出てくるように思いました。

ただ、この雲中供養菩薩の鑑賞方法については、最初に行った12月上旬の時点ではこんなふうに観ている人はほとんどいませんでしたが、会期終盤は明らかに変化していました。終盤に向けて観る人の熱気も高まっていったようです。

そして、まとめ、というわけではないですが、このように如来や浄土を荘厳し盛り上げる飛天、あるいは飛天から繋がる表現というのは、絵画は別として三次元においては、ガンダーラ等の仏伝レリーフに始まり、後の工芸の中の意匠としても、仏像の光背でも、平等院の雲中供養菩薩でも、浮彫や板彫、あるいは一部丸彫など半立体の中に技と工夫が凝らされ展開する世界なんだということ。

先日終了した興福寺仏頭展で、板彫十二神将のその表現や立体以上の立体感に改めて驚嘆したばかりだけど、そもそも「飛天」に関してはそれが前提ともいえ、そういう形で数々の傑作が存在していることに気付きました。

以上が、「天上の舞 飛天の美」展を最初に観に行った時の感想です。この日は先ほど述べたようにあらかじめ見どころトークを聴いて、展示もしっかり解説を読みながら順を追って理解することに努めました。しかし、つい直近の2回目はまた違う視点や見方で楽しみました。それについては「後編」として次の記事でまとめます。

[鑑賞日(1回目):2013年12月8日]

 

平等院鳳凰堂 平成修理完成記念「天上の舞 飛天の美」

【会期】2013年11月23日~2014年1月13日

【会場】サントリー美術館 http://www.suntory.co.jp/sma/

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