大阪市立美術館「山の神仏-吉野・熊野・高野」展を振り返る(その1)

多様な神仏が濃密に混在・共存する信仰の宇宙


いやー、やっと「山の神仏」の神仏ジャングルから抜け出せた。もうカオス過ぎて頭パンク!

大阪市立美術館で開催されていた「山の神仏(かみほとけ)-吉野・熊野・高野」展が先週末(2014年6月1日)に閉幕しました。上記の感想は少々大げさなようですが、これはこの展覧会を観終えた直後に発したツイートで、その時の私の心境を素直に表しています。私が観たのは比較的会期序盤の方だったのですが、その後続々と観に行っていたTL上のフォロワーさんたちの感想も、程度の差や言い方は違えど、やはりその想像以上のボリュームとカオスといってもいいあまりに多様な信仰世界に驚くものが多かったようです。

大阪市立美術館

大阪市立美術館

特別展「山の神仏-吉野・熊野・高野」

特別展「山の神仏-吉野・熊野・高野」

本来、「吉野」「熊野」「高野」…それぞれでも十分すぎるぐらい大きな展覧会が開けるはずですが、それを一つにまとめたのは、この三聖地を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が2004年に世界文化遺産に登録されてから10周年になるのを記念してのことです。

ちなみに、世界遺産登録当時の2004~2005年には、大阪市立美術館・名古屋市博物館・世田谷美術館(東京)の3館で「祈りの道~吉野・熊野・高野の名宝~」展が開かれ、私も世田谷に観に行ったのを覚えています。まだその当時はこういった展覧会にも行き始めたばかりで何をどう観ていいかも今以上にわからず、記憶はすっかり曖昧になっていますが、巨大な蔵王権現像が展示されていたりして、紀伊山地はとてもミステリアスで面白そうという印象は強く残りました。

大阪市立美術館特別展 「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録記念
「祈りの道~吉野・熊野・高野の名宝~」(2004年)

世界遺産登録10周年記念の今回の展覧会では、図録巻末の当館主任学芸員の方の解説によると、「三霊場にどのような神仏が祀られているか、分かりやすく伝えること」を基本テーマとして企画・構成したとのこと。それは、「紀伊半島は広くその神仏は数知れず、また三霊場の歴史と信仰は複雑であり、全容を一つの展覧会で示すのはきわめて困難と考えた」からで、展示作品は「神仏のすがたが表された絵画・彫刻・工芸」に絞り(唯一の例外が「国宝・藤原道長経筒」)、社寺の奉納品・経典・歴史資料・文書等は含めなかったということです。

総作品数150点というのは確かに少ない方ではないですが、このように、なかなか一般の人には読んでも理解できず、つい鑑賞を飛ばしがちな文書や経典の類をあえて含めず、ビジュアルに訴えるもののみにしたことが、記事冒頭の私の感想のように、この展覧会に圧倒的なボリュームを感じた要因かもしれません。どの作品にも多様で不思議な神と仏の姿が表れており、いちいち目を奪われることになったからです。

しかしそれでも実は、「吉野・大峯」については修験道の代表的尊格である役行者と蔵王権現を中心に、「熊野三山」については熊野信仰における主要な神仏に限定、「高野山」については高野山開創に関わったとされる丹生明神・高野(狩場)明神に焦点をあてるなど、より明快で分かりやすくしたうえでのことだそうなので、本来はもっともっと多様で複雑で雑多な世界なのだともいえそうです。

いずれにしても、一つの展覧会でこの三霊場の全てを理解するのは無理なことです。振り返るといっても一素人が簡単にまとめられるようなたやすいものではありません。ここはもう、実際展覧会を観た時もそうするしかなかったように、今一度図録をめくりながら、巨大な信仰空間に飛び込んでみるしかないようです。その中で、当日のイメージや印象が強かったものをいくつか挙げてみようと思います。

 

会場は大阪市美術館の1階と2階にわたっており、それがエリアごとに「吉野・大峯」「熊野三山」「高野山」の3パートに分かれる構成になっていました。

大阪市美術館 1・2階吹き抜けの中央ホール

大阪市美術館 1・2階吹き抜けの中央ホール

(以下、写真は全て図録より)

まずは1階、中央ホール右手の「吉野・大峯」から鑑賞。先述のとおり、蔵王権現像と役行者像が数多く展示されていました。

重要文化財 役行者倚坐像 鎌倉時代 奈良・櫻本坊

重要文化財 役行者倚坐像 鎌倉時代 奈良・櫻本坊

残念ながら、展示期間が短かった吉野・如意輪寺の源慶作の蔵王権現立像はこの日はまだ展示されておらず、観れませんでした(お寺の方では二度ほど拝観)。また役行者像は、これはいろんなお寺で見かけて常々よく思っているのですが、若い姿からかなりの老相まで、また痩せているものからがっちりとしてたくましいものまで、あるいは表情も笑っているようなものから怒っているような恐ろしげなものまで、本当にいろんなタイプがありますよね。ここでも様々な役行者を観ることができました。

国宝 藤原道長経筒 平安時代 奈良・金峯神社

国宝 藤原道長経筒 平安時代 奈良・金峯神社

先述のとおり、今回の展示趣旨的に唯一の例外で神仏の姿が表されていない「国宝 藤原道長経筒」。金銅製で一見大きな茶筒のような形ですが、側面に刻まれている願文から、藤原道長が自ら大峯山に登って参詣し、経筒を埋納したと記録する『御堂関白記』に記されるまさにその経筒であることが判明しており、歴史的資料と実際出土した遺物が一致する貴重な例です。現代人には教科書などでしか知り得ない平安時代の大権力者・藤原道長が確かに存在したことを強く感じさせると同時に、その大権力者をも神仏を頼ったことがこれ以上ない形で実感でき、想像以上の感慨がありました。写真の赤線(筆者加工)のところに確かに「大日本国左大臣正二位藤原朝臣道長」と刻んでありました。

吉野子守明神像 南北朝時代

吉野子守明神像 南北朝時代

儀軌にもとづいて描かれる仏教の尊格と違って、日本の神々は和装であったり唐装であったり僧形であったりと、比較的自由で多様な姿に描かれるものです。そういう意味ではこの女神の画像も、よくある貴族風の和装の女性の姿といえるのですが、やはり違和感を感じるのはそのアングル。正面やや上方から描かれており、目に入った時は一瞬「えっ?」となりました。先述の図録巻末の解説には、「日本の神々の坐像は主祭神であっても往々にして斜め向きで表されることが多い」とあり、その理由の可能性の一つとして「神々が人のすがたに近い」ことが挙げられると言っています。「真正面のすがたは、私たちが緊張し目をそらしたくなるような視線と圧倒的な存在感を有している」からで、さらに「そもそも神と視線を交わすことも畏れ多いことと憚られる感もあり」という見解を聞くと、やはりいかにこの女神画像が異質かが理解できます。またこの点は、後述の「国宝 熊野速玉大神坐像」の威厳の理由とも関係してきます。

続いて「高野山」パートになりますが、次の記事に記します。

 [鑑賞日:2014年4月18日]

 

特別展 「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録10周年記念
「山の神仏-吉野・熊野・高野」

【会期】2014年4月8日~6月1日

【会場】大阪市立美術館 http://www.osaka-art-museum.jp/

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