大阪市立美術館「山の神仏-吉野・熊野・高野」展を振り返る(その2)

真言密教と神々の融合が生み出した高野山の諸像


2014年6月1日に閉幕した、大阪市立美術館「山の神仏-吉野・熊野・高野」展。最初のパート「吉野・大峯」までを振り返った「その1」に続き、この記事では「高野山」を振り返ります。(以下、写真は全て図録より)

3つのパートは独立しており特に順番はないもの、会場的な順路としては「吉野・大峯」の次は同じ1階で中央ホールを挟んだ反対側の「高野山」になります。

重要文化財 不動明王立像(合体不動) 平安時代 和歌山・金剛峯寺

重要文化財 不動明王立像(合体不動) 平安時代 和歌山・金剛峯寺

仏教の真言密教の聖地ということで、「高野山」の展示は比較的仏像が多い印象でした。実際の展示順序とは前後しますが、その中でも圧倒的な大きさで目を引いたのがこの合体不動と呼ばれる不動明王像。像高276.0cm、立った姿の半丈六像です。どちらかというと頭が大きくずんぐりした幼児体型(笑)なので写真だとあまり大きく見えないのですが、実際は大木が立っているような大迫力でした。現在は高野山霊宝館に安置されています。

純粋な密教の仏像に思われるこの不動明王像も、その成り立ちには神が関わったという伝承があるそうで、高野山開創の折、春日明神のお告げにより空海(別の僧のバージョンもあり)が不動明王の半身を造ると、神もまた半身を造り、それを合わせるとぴったりだったというのです。「合体不動」という名の由来です。ここに登場する神が、高野山開創伝承の主役である丹生明神や高野(狩場)明神ではなく、春日明神なのも気になります。もしかしたらある時期、高野山が興福寺や春日社(春日大社)と何らかの関係があったことを暗示しているのかもしれませんね。

重要文化財 伝龍猛菩薩立像 平安時代 和歌山・泰雲院

重要文化財 伝龍猛菩薩立像 平安時代 和歌山・泰雲院

そして、パッと見、お地蔵さん?と思うのですが、観れば観るほど不思議なところだらけなのが、この僧形の像。真言八祖の一人でインドの高僧だった龍猛菩薩の像と伝わっているのですが、右手で衣の一部をギュッと握り、襟を立て、クツも履いているんですよね。図録の本像の解説にもあるように、平安時代の僧形像や地蔵菩薩像にはこの像のような変わった造形が時々見られます。そこで個人的に真っ先に思い出すのが、奈良県斑鳩町・融念寺の地蔵菩薩として伝わっている像で、その像は右手で衣の裾をつまみ上げています。日本の神の中には、八幡神のように明らかに僧の姿で表される「神像」があることから、どちらも僧形で表された神像の可能性があるといわれています。

また、この伝龍猛像で特徴的な幅広く平らな衣文。こういうのは奈良や京都など、仏像界におけるいわゆる「中央」作では見かけませんが、地方の平安時代の仏像でたまに見るような気がします。少し形は違いますが、私が観た中では伊豆南部の南禅寺仏像群のうちの地蔵菩薩も幅広・平らな衣文でした。いずれにしても、変わった特徴を持つ仏像・神像はその由来や制作地含め謎が多いと改めて思いました。

童形神坐像 鎌倉時代 和歌山・三谷薬師堂

童形神坐像 鎌倉時代 和歌山・三谷薬師堂

童形神坐像 鎌倉時代

童形神坐像 鎌倉時代

上の2体の童形の女神像。特に下の像は髪型がかわいらしいなと思い目に留まったのですが、よく観ると両者はそっくりです。大きさもほぼ同じ。上が木造で、下が銅造です。つまり、上の木造を型にして土を盛りつけ、その土の外型で鋳造したのが下の像である可能性が高いとのこと。実際、上の像にはところどころにこびりついた土も確認されているようです。鋳造された銅造神像の方がより格上の神社に祀られていたと推測されるようですが、制作に用いた木造神像も神の姿が表れた御神体として丁寧に祀る日本人…。今もお寺などに行くと、ボロボロになった破損した仏像や、場合によってはそのほんの一部の残欠になっても決して捨てたりせずに大事にしている光景は本当によく見ますが、そういう日本人らしい心情が、これらの神像からも感じられました。

ちなみにこの2体は、丹生明神・高野明神に加え、気比明神と厳島明神を合わせて四社明神が成立した時期のもので、丹生・気比・厳島の一具の三女神像として制作されたうちの厳島明神にあたるそうです。

両頭愛染明王坐像(天野社伝来) 室町~江戸時代 和歌山・金剛峯寺

両頭愛染明王坐像(天野社伝来) 室町~江戸時代 和歌山・金剛峯寺

この展覧会のインパクト大賞は、やはりこの両頭愛染明王でしょう。たくさん観すぎて頭のキャパを超えてしまっても、この姿だけは覚えているという人は多いと思います。一つの体に愛染明王と不動明王の顔が付いている、あるいは愛染明王と不動明王が体を共有しているともいえますが、本当に異形ですよね。この像は今回一緒に展示された平安時代の大日如来坐像と江戸時代の愛染明王坐像とともに天野社(丹生都比売神社)のものだったらしく、神社で密教修法が行われていたことを示します。ただ、両頭愛染という姿を説く経典はなく、平安時代に真言宗の僧侶によって生み出されたのではないかとのこと。

それにしても何を意図してこの姿にしたのでしょうか。小さな像ですが、本来別々の2体の仏像が必要なところを携帯や運搬の問題から1体で済ませられるようにしたのか、それとも、愛染明王と不動明王を同体とする解釈があったのか、はたまたそれぞれでも強力なパワーを持つ愛染さんとお不動さんを合体させたらもっとすごいパワーの尊格になると考えたのか…謎と妄想を駆り立ててやまない、実に興味深い仏像です。

次のパート「熊野三山」については次の記事にて。

 [鑑賞日:2014年4月18日]

 

特別展 「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録10周年記念
「山の神仏-吉野・熊野・高野」

【会期】2014年4月8日~6月1日

【会場】大阪市立美術館 http://www.osaka-art-museum.jp/

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