大阪市立美術館「山の神仏-吉野・熊野・高野」展を振り返る(その3)

ディープでスケールが大きい熊野の信仰世界


いやー、大阪市美「山の神仏」展見応えある。2時間でまだ吉野と高野のコーナーしか消化できず。最後の熊野コーナー、ざっと一周してみたら一番すごそうだからまだまだかかりそう。作品鑑賞というより、この神仏が濃密に混ざり合った世界観を少しでも理解しようと思い悪戦苦闘する感じ。神と仏の森だ。

2014年6月1日に閉幕した、大阪市立美術館「山の神仏-吉野・熊野・高野」展。上記のコメントは、「吉野・大峯」(記事「その1」)、「高野山」(記事「その2」)の展示までを観終えた時に発したツイートで、その時点での私の率直な心境です。すでに想像以上の内容とボリュームに打ちのめされそうになっていますが(笑)、少し休憩して、いよいよ最後の「森」、「熊野三山」に分け入ります。

「熊野三山」パートは美術館2階に展開。予想はしていましたが、やはり展示数が一番多く、内容もそこに表されている神仏も最も多様で混沌としており、ここだけでさらに1時間半近く要しました。

(以下、写真は全て図録より)

 

国宝 熊野速玉大神坐像 平安時代 和歌山・熊野速玉大社

国宝 熊野速玉大神坐像 平安時代 和歌山・熊野速玉大社

熊野の展示でまず目を引くのが、熊野の神々の姿が表された神像、その神々の本地仏としての仏像、神仏がまさに合体した御神体である懸仏です。

なかでも本展覧会の目玉ともいえるのが、熊野速玉大社の「国宝 熊野速玉大神坐像」。神像というと、とくに木造のものは、決してリアルとはいえない、素朴すぎるとも、あるいは稚拙ともいえる表現の風貌だったり、奇妙に薄い体躯や、木がそのまま地面から生えているような奥行きのない下半身・膝の表現をイメージしますが、平安時代でも9~10世紀と比較的早い時期のこの像は、まだ仏像の影響が強いのか、広い肩幅で厚みのある堂々とした体つき 、しっかり彫り込まれた顔の造形が印象的です。先に挙げた典型的な神像の形の現実感のなさからくるある種の呪術的な神性と比べ、この像は人格と意思をも感じさせる大変威厳のある姿です。繊細で流麗なタッチで描かれた鬚や瞳、冠の模様などもよく残っており、さらにその印象を強くさせます。

一方、衣文の表現はなるべく省略し最小限度に留め、がっしりした体躯のわりには膝部の奥行きを出さないなど、神像的な表現もみられます。そういえば、昨年(2013年)春、東京国立博物館で開催された「国宝 大神社展」では、同じく熊野速玉大社の「国宝 家津美御子大神坐像」(けつみみこのおおかみざぞう)を観ることができ、そちらも大変立派な神像でしたが、この熊野速玉大神はこの神社の主祭神らしくさらに強いオーラと威圧感を漂わせます。

本展覧会の記事「その1」の「吉野子守明神像」のところでも触れましたが、まさに「真正面のすがたは、私たちが緊張し目をそらしたくなるような視線と圧倒的な存在感」があり、「視線を交わすことも畏れ多いことと憚られる」…そんな神の姿そのものでした。

 

さて、多様な神仏が入り混じった吉野・熊野・高野の信仰世界をもっともよく表し、この展覧会でも実は主役だったのではないかと思えるのが曼荼羅図です。特に熊野の場合は、その種類も多種多様で、描かれる神仏も数多く、展示数も多かったです。本地仏あるいは垂迹した神の姿で構成される「熊野曼荼羅図」と呼ばれるタイプは、奥に吉野・大峯の山々や蔵王権現・役行者も見られ、また那智の滝も描き込まれていて、自然の中に神仏を観る宇宙観やスケールの大きさを感じさせます。

重要文化財 熊野曼荼羅図 鎌倉時代 京都・聖護院

重要文化財 熊野曼荼羅図 鎌倉時代 京都・聖護院

那智参詣曼荼羅図 室町~江戸時代 和歌山・熊野速玉大社

那智参詣曼荼羅図 室町~江戸時代 和歌山・熊野速玉大社

「曼荼羅図」と呼ばれるものの中には、「那智参詣曼荼羅図」のように、土地の景観やそこに建ち並ぶ寺社堂宇、僧侶や神官、参詣に訪れるたくさんの人々が描かれているものがあります。これは熊野比丘尼が諸国を勧進して巡る際に絵解きに使われたものですが、このなんとも賑やかで楽しそうな様子に、比丘尼の話を聴く人々はきっとワクワクし、熊野への憧れを募らせたのではないでしょうか。こういう雰囲気や構図は、極楽浄土の様子を描いた當麻曼荼羅や、華やかな京の町を描いた洛中洛外図にも共通するものがあると思います。いつの時代にも人々を惹きつける魅力があり、私も大好きな題材です。

重要文化財 熊野権現影向図 鎌倉時代 京都・檀王法林寺

重要文化財 熊野権現影向図 鎌倉時代 京都・檀王法林寺

様々な神仏が共存・融合する熊野の地は、また様々な信仰や思想も受け入れてきたようで、「熊野権現影向図」と称する一種の阿弥陀来迎図があったのは興味深かったです。ちょっと山越阿弥陀図に似た構図で、下半身を雲に包まれた巨大な阿弥陀如来が姿を表しています。熊野では、熊野本宮大社の主祭神・家津美御子大神の本地仏が阿弥陀如来であり、熊野詣をすれば西方浄土に往生できるという信仰があったようです。熊野といえば、観音菩薩が住まう補陀落浄土を目指して補陀落渡海という生還不可能な捨身行が行われたことが知られていますが、阿弥陀が住まう極楽浄土の入口でもあったんですね。

 

三昧耶形像(那智山経塚出土) 平安時代 東京国立博物館

三昧耶形像(那智山経塚出土) 平安時代 東京国立博物館

また、熊野には非常に密教的な遺物もあり、この三昧耶形像は平安時代~近世までの大規模な埋納遺跡である那智山経塚出土のもの。一緒に出土した大日如来坐像、金銅薄肉の如来・菩薩像とともに立体曼荼羅を形成していたのだとか。三昧耶形は密教において、仏像のようなそのものの姿ではなく、その印相や持物などで尊格を表したものとのこと。特に蓮弁の付いた台座に印相を結んだ「手」だけが載っているものはなかなか衝撃的ですね。これもまた「仏像」といえるのかもしれません。

 

さてようやくトータル3時間半かかって、どうにか全展示を観終えました。3つの聖地の本当に多くの神仏にまみえ、正直もう頭も体もクタクタになりました。でもとても面白かった!

非常に満足感や全部観終えたぞ!という達成感をも感じながら、一方で、あまりに多様すぎる神仏の世界に頭の中は混乱したまま。展示作品の中にはどう見ても姿と伝わっている尊名が一致しないとしか思えない不可思議なものもあり、ふとこんなことも思いました。当日のツイートより…

展示観てて思ったけど、熊野関係とか時代が下るにしたがって、なにが本地で垂迹でとかもうごっちゃになってるような気がする。描いたり作ったりする人の方も。

でもこんなふうにも考えました…

ひょっとしたら最後はこじ付けと思い込みの世界なんじゃないかと思いそうになったけど、どうにか救われたいと大真面目に考えてあの信仰世界を創り上げたんだよなぁ、きっと。人間の想像力ってすごいわ。

それから少し時間が経って、今この紀伊山地の「山の神仏」のあり方に思いを馳せてみた時に、思わず「みんなちがって、みんないい」というフレーズが思い浮かびました。正直知らなかったのですが、これは童謡詩人・金子みすゞの言葉だったんですね。多様な神仏がひしめくように存在し、そして共存し、融合もしてしまうという、この展覧会で垣間見た世界観・宇宙観・宗教観は、まさに紀伊山地の深い森のように懐が深く、いかなる者も排除せず受け入れようとする寛大さと慈悲の表れかもしれないと思ったりするのでした。

 [鑑賞日:2014年4月18日]

 

特別展 「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録10周年記念
「山の神仏-吉野・熊野・高野」

【会期】2014年4月8日~6月1日

【会場】大阪市立美術館 http://www.osaka-art-museum.jp/

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